流れ星☆とカヌーと地球
夜空をながめていたら、ひっさびっさに、
まぶしく感じられるくらいの流れ星を目にしました。
逃さず、お願いを3回となえておきました!
さて、前回、恥ずかしポーズで気を抜くという話を書きました。
で、思い出したのが、↓この本です。
氣は、物体のように具体的に触れたりできないものなので、
信じるもよし、信じないもよし。
氣のながしかたについては、気功や武道やリラックス法など、いろいろありますが。
活用してみたいなと思った相性のいいものを生活にとりいれればいいと思います。
文字どおり、氣はもちようです。
この本のなかで、「生命とは流れのなかの秩序である」
という記述があります。
わたしも、
人生とは、ながれのなかのかかわりと秩序だと思います。
川のながれをかたちづくっているのは、
川もふくめて、すべての存在が決定しています。
つまり、すべての存在がかかわって、
1つの川のながれをかたちづくっています。
川のなかの水1つぶを観察すれば、
その1つぶは、すくなくともふれあうすべてから影響を受けて、同時に影響をあたえています。
そのふれあうなにかしらは、
おなじようにふれあうなにかに影響をあたえあっています。
そうやって、川の水1つぶは、とぎれることなく永遠につながりあって
影響をあたえあっています。
いっけん、秩序がまったくないように見えても、
すべてがつながりあって、かかわって成立しています。
自然は、すべて、寸分のくるいもない叡智と秩序で成立してます。
すべての存在を認めて、あるべき方向へとながれつづけます。
自然のながれにあらがって、
川をのぼろうとする水は1滴たりとも観たことがありません。
あったとしても、それは、すべてのかかわりの秩序のなかで、
目的のある必要性が満たされるためなのでしょう。
いえ、小難しい話はさておき。
じゃぁ、どうして、苦痛があったり、悩みがあったり、
不幸があったりするのかに、興味があります。
人に、苦痛や苦悩や後悔があるのは、
人がすべての選択をゆるされているからです。
ながれにさからって、のぼっていくことをゆるされています。
ながれにさからって、とどまりつづけることをゆるされています。
とうとうとながれる川の1点にとどまりつづけるには、
相当のがんばりが必要です。
けして、とどまりつづけることがわるいわけではありません。
とどまりつづけることで、飛躍的な体力がつくこともあります。
ただ、呼吸を貯蓄しようとする人はあまりいません。
寝貯めしたいと思う人はけっこういるかもしれませんが、実際には限界があります。
吸ったり吐いたり、寝たり起きたり、その変化のながれが
人にとっては、とても自然だということです。
・・・だとしたら、楽に生きるためには、ながされるしかないのか?
極端に考えたくなるところではありますが。
地球には、ありとあらゆるながれがあります。
どのながれにのるか、さからうかは、すべて自由です。
むずかしく考えればきりがありませんが。
その場、その瞬間に、もっとも自然で自分らしい選択をくりかえすことです。
ただ、川のながれにまかせてカヌーで下るだけだとしても、
舵取(かじと)りは、こぎ手にまかされています。
今日した選択、これからする選択は、
もっともわたしを表現しているかどうか。
これが、カヌーを沈没させないコツです。
ちなみに、なんども沈没したっていいじゃないですか!って思います。
わたしは、カヌーで川をくだった経験以上に、
沈没して、もう助からないかもと思った経験のほうが、いまだにたからものです。
安全に楽しむコツは、
自然(人も含む)に敬意をはらうことだと思います。
地球や人や動物や植物に、遊びや学びのフィールドをいただいているという
敬意をはらうことをわすれなければ、人は、いつでもどこでも安心して楽しめます。


